WORKS NO. 867 『異次元漂流帰る場所を忘れなかったパイロット』
惑星間航路を飛行していたパイロットは、突如現れた青白い光に機体ごとのみ込まれた。
激しい衝撃が収まり、彼が目を開けると、そこには星図にも航行記録にも存在しない世界が広がっていた。
無数の都市や宇宙船の残骸が、巨大な渦を描きながら宙に浮かんでいる。空間には上下も距離もなく、遠くに見えた建造物が一瞬で目前に現れ、避けたはずの障害物が背後から追いかけてきた。
通信機から、自分の声が聞こえた。
「戻るな。ここには、失ったものがすべてある」
やがて窓の外に、故郷の街が映し出された。そこには亡くなった家族や、別れた仲間たちが立っている。皆が笑顔で彼を迎え、もう危険な旅を続けなくていいと語りかけてきた。
彼は操縦桿から手を離しかけた。
しかし、胸元の記録装置に残された最後の通信が再生された。
「必ず帰ってきて。あなたを待っている人は、過去ではなく、今を生きているから」
その言葉で、彼は目の前の光景が異次元の罠だと悟った。この世界は、迷い込んだ者の記憶から最も美しい風景を作り出し、そこに留まることを望ませる。そして帰ろうとする意志を失った者を、残骸の一部へ変えてしまうのだ。
脱出するには、空間の中心にある次元の裂け目へ到達しなければならない。だが誘導装置は同じ場所を何度も示し、機体は進むほど出発点へ戻されていた。
彼は機械の示す正しい航路を捨て、自分の感覚まで疑うことにした。
前へ進めば戻されるなら、後ろへ進む。光が出口を示すなら、あえて暗闇を選ぶ。恐怖を感じる方向こそ、この世界が隠そうとしている道だと考えた。
機体を反転させると、美しかった故郷は崩れ、巨大な怪物のような都市へ姿を変えた。無数の残骸が襲いかかり、通信機からは泣き叫ぶ声が響いた。
「ここを出れば、二度と会えない」
彼は涙をこらえながら答えた。
「忘れないことと、過去に閉じ込められることは違う。私は、まだ生きている人たちのもとへ帰る」
燃料は残り一パーセント。次元の裂け目は急速に閉じ始めていた。
彼は生命維持装置以外の全電力を推進器へ送り、一度きりの加速に賭けた。機体は崩壊する空間を突き抜け、閉じる裂け目へ飛び込んだ。
次の瞬間、彼は元の宇宙空間へ放り出された。
帰還後、彼は異次元で見たものを誰にも詳しく語らなかった。ただ、航海記録の最後に一つの言葉を残した。
「人は、道が分からないから迷うのではない。手放せない過去が、進むべき方向を見えなくするから迷うのだ」
人生にも、正しさが通用せず、出口さえ見えない異次元のような時間がある。そんなときに必要なのは、失ったものを取り戻そうとすることではない。
悲しみを抱えたままでも、今を生きる人の声を信じ、暗闇の先へ操縦桿を倒す勇気である。
帰る場所とは、過去の中にある美しい記憶ではない。
不完全でも、誰かが自分を待っている現実の中にあるのだ。

